笑う犬

2015.03.03 Tuesday


2015.3.3

ねこばかりではなく
犬もすきです。
通りすがりのわたしに、笑いかける犬。
しあわせな時間。

東京ねこ散歩

2015.03.02 Monday


2015.3.2

彫刻作品のある公園にて


帰ろうとしたら、見送ってくれた。

早春のシーサー

2015.03.01 Sunday


2015.3.1

歩いていると
季節の花以外に、あざやかなものをみつけた。
青い空が恋しい。
はやく夏がこないかな。
 

リタフォトスクール中目黒編

2015.02.28 Saturday


2015.2.28 中目黒

きょうは中目黒でリタフォトスクールをおこないました。
とても穏やかな天気で、
ひざしはあたたかく、冷たい風もなく
歩くだけでも気持ちよかったです。
来月の今頃、目黒川の色は一面、桜色なのだろうなと
想像するととても楽しみな気持ちになって
ゆっくり歩いていきました。



人物撮影の話になって
モデルにもなってみました。



 

春よこい

2015.02.27 Friday


2013.3.7

そろそろ日差しにもあたたかさがましてきて、
黄色いものを見ると「菜の花かな」と思います。
(じっさい、まだ見てません。この写真は2年前)

本日、中国新聞のQueに、
世羅特集が組まれていまして、
わたしも取材していただきました。



あらためて、実家のある世羅は
色とりどりの風景にあふれた、
素敵なところだと思いました。
ずっと居たら見えないものかもしれない。

東京と広島を繰り返し行き来して、
外側と
内側を見て
その度に目がさめるような想いで
季節を追いかけている。

こんなにも世界は美しかったのか、
こんなにも日々は豊かだったのか、
この国の四季はどこまでも素晴らしい。
なんども胸をうたれている。
 

フィルムカメラ

2015.02.26 Thursday


2015.2.26

学生時代はじめて、バイトしてお金ためて買ったカメラは
キヤノンのEOS kissで(もちろんフィルム)
そのあとスタジオにアシスタントとして入り、
ようやく買えたのが、このNikon FM2でした。

レンズは35mmだけで
ひたすら撮る、という日々。
モノクロを現像からプリントまでおこなっていたのも
この頃です。

練習のために撮っていたリバーサルフィルムは
こんなにも写らないものかと
なんども落ち込んだものでした。

スタジオをやめてフリーランスになった時、
時代はデジタルに以降しつつありましたが
まだ料理の撮影はポジフィルムでした。

その時買ったのが、この50mmのレンズ。

買ったばかりの明るいレンズが嬉しくて
いつまでも新しい、嬉しい、と思っていましたが
ふと、気づくと
買ってから12年も経っていて、
もはや新しくないレンズになったことに驚きつつ
マニュアルレンズに古い新しいもないかなとも思います。


ゆっくりフィルムを撮るのもいいもんだなぁと
また最近、思う。

 

利己とリタ

2015.02.25 Wednesday


2015.2.25 

仏教でいう大乗と小乗があります。
小乗というと利己的信仰で、大乗は利他の信仰のように言われているけれど
実はどちらか一方というのは間違えている。

小乗的信仰とは、個人の利益、
つまり自分が安楽に暮らせばいい、
自分の家族一族がしあわせに暮らせればいい、
社会とか国家とか人類とか、
そういうものにはあまり関心をもたず、
家内安全無病息災商売繁盛と拝む、個人本位の信仰。

大乗的信仰は、それと反対に
社会や国家、世界人類とか、
そういう大きいことを対象として自分のことはおいて、
兄弟親子と別れ家庭を犠牲にしてでも
世のために尽くす。

大きな救いのために自己を犠牲にすることは
大変立派なことだけれども、
真理からいうと間違えている。
特殊な場合、止むを得ぬ事情になった時をのぞいて、
ふだん滅多にあるものではない。

小乗でもなく、大乗でもなく、
小乗であって大乗であるということが本当である。

それはあるときは小乗でいき、
ある場合は大乗でいく、
その時と場合、人によって色々に変化すること。

たとえば、
暑いときは薄手のシャツでいき、
もう少し涼しくなっていくとカーディガンをはおり、
寒くなればコートを着るというように
対象、環境によって
TPOに応じて変化すること、
それが本当なのだと思う。


世界が天国になることを、
まず世界を構成している単位で考えてみる。
それは結局人間で、
世界は人間の集合体で国ができて、
国は市町村から成り立っていて、
市町村は家から成り、
家は個人から成っている。

だから個人が救われなければ、
世界は救われるはずはない。

したがって、個人の利益のみを主とする小乗的信仰も間違っていれば
個人を犠牲にする大乗的信仰も間違えている。
つまり両方よくなり、全体が救われなければならない。

一軒の家が世界の型だとすれば、
一家が天国になって救われて世界は救われる。


わたしが33歳のとき作った会社は
「リタコーポレーション」といいます。
(最近は「リタ」とだけ呼んでいます)

このリタは「利他」からとりましたが、
小乗にあらず、
大乗にあらず、
小乗であって大乗であるという信念をもって、
わたしのちいさな単位である家族と一緒に企業しました。

わたしの先祖は鎌倉から江戸時代にかけて、真言宗のお寺でした。
尾道の西國寺ともつながりがあったそうです。
お寺は途絶えてしまいましたが
末裔のひとりとして、
ちがうかたちで繋げたいという思いがありました。


家族が幸福であるなら、
世界を幸福にすることができる。
ひとを喜ばせることが主体の会社が、
営利団体として継続するなら、
この世の中はきっとよくなる。

わたしの挑戦はまだ始まったばかりで
目に見えるかたちで完成はしていませんが
臨機応変に、
いつも新しいわたしでいたいと思っています。